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徒然なるままに、書き記します。
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明日で震災から3年。

 あれから、わたしは、どう生きたきたのか。

 震災の年2011年4月、母校「東京学芸大学」の東京学芸大学全国同窓会辟雍会の会長であり、
元東京学芸大学学長の「鷲山恭彦」先生に友人の結婚式に出席の折に同窓会の事務所に寄ったことがきっかけで、
同ホームページに掲載され、これが、同窓会誌に載るまでに至りました。

同窓会ホームページ掲載記事
http://www.u-gakugei.ac.jp/~dousou/1/contents/kaichou/s1.html

同窓会誌(機関誌「辟雍」)辟雍 2011年 No8

http://www.u-gakugei.ac.jp/~dousou/hekiindex.html

 この話が実現するまでは、
 私の大学、大学院の恩師である「服部(清水)篤美」先生(現東海大学実務法学研究科(法科大学院) 実務法律学専攻教授)が、
「鷲山恭介」先生に紹介してくださったことがきっかけでした。
http://www.u-tokai.ac.jp/graduate/law_school/academic/hattori.html

 今年になって、「服部(清水)篤美」先生には3年ぶりにメールを送った次第です。

 話戻して…
 震災の年、岩手支部の代表代理として、全国同窓会代表者会議に出席。
 そして、記事も同ホームページの支部紹介で載っております。
http://www.u-gakugei.ac.jp/~dousou/1/contents/sibu/iwate.htm

 その後の様子は、ちょいちょい、被災地を訪ねては自分のホームページに載せております。
http://furudate.omiki.com/sinsai.html

 昨年の夏に仙台~八戸の沿岸地域を大学の友人が来た際に、
 被災の状況やら復興の状況やらを見て回りました。

 これもちゃんと編集しておくべきですが、なかなかできていないのが現状です。

 最近だと、北上市の関係の震災当時、及び、その後についての話を聞く機会があって、
ちょいちょい訪ねては、話を聞いているという感じです。

 この頃、テレビでも3年ということもあって、ニュースとか特番も組まれ、
それを見ては、あの頃を思い出し…

 今になっても、怖いものだと思ったりしております。

 震災から明日で3年。

 よく言われるのですが…
 岩手でも内陸は、地震の爪痕はおよそなくなってきており…
 沿岸地域との温度差を感じるとか言われます。

 そんなことを思いながら、今回、これを書いております。
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「北上市震災復興支援シンポジウム」
http://kitakamicity.jp/fukkou/?page_id=1737
・2014年2月1日(土)13:30~17:00
会場:日本現代詩歌文学館講堂

内容は、

○復興支援活動の報告
・「岩手県復興計画の進捗状況について」岩手県理事兼復興局副局長佐々木和延氏
・「北上市の復興支援活動の取り組みについて」北上市長髙橋敏彦
・「きたかみ復興支援協働体構成団体の取り組みについて」きたかみ復興支援協働体会長舘邦雄
○協働パートナーからの活動報告
・RCF復興支援チーム代表理事藤沢烈氏
・いわて連携復興センター代表理事鹿野順一氏
・弘前大学教育学部教授北原啓司氏
○パネルディスカッション

… …

 ここから、私の私見ばかりがあるので、間違ったらごめんさいで、読んで下され…
… …

 東日本大震災から、3年経とうとしている現在、これまでの取り組みから、これからについての話をしていこうという内容だったと思う。

 県の復興の進捗状況の説明や北上市内のいわゆる復興支援(広義の)、そして、行政だけでなくNPO法人の取り組み等の報告、そして、パネルディスカッション。
 終了時間を30分も押して、熱気のうちに会は終了した。

 地元の新聞各紙は、それぞれの視点で書いているので、これも少し、紹介しようかと思うが…

 そもそも、なぜに、この会が「北上」なのかもある意味おもしろいし、不思議でもあるし、興味もある。
 北上生まれ、盛岡育ちの私としては、そんなことを考えながらも書いてみたい。

 先ほどのなぜ、「北上」なの?を一言で言い表すなら…

 北上は、「地域コミュニティ」の強い町である
 だろうか。

 これは、私は、良い面も悪い面もあると思うが、良い面がとても現れていると思う。

 歴史を見ると…
 この町は、殿様から離れた、昔で言う藩の辺境の地(伊達藩と南部藩の)。

 ある意味、自分たちのことは自分たちでやらないとならないのだ。

 半面、良い意味では、主役は自分たちという意識があるのだと思う。

 というか、そうでないと生きてもいけない、生きていけなかった歴史がある。
(「奥寺堰」などの例はそれだよね…
 下級藩士の「奥寺」氏が、堰、用水路を作って新田開発した歴史。
 なにせ、北上には「奥寺」神社まであるのだから…)

 だから、行政の力が強かった、盛岡みたいに殿様のいた町は、やっぱり行政主体がどちらかというと気持ちが良い。
 そして、社会的秩序もそういうぎっちりとしたものである気がする。

 
 逆に、北上はあまりそういった意識がない。
 ここには、昔からこの人がどうだとか、あまり考えないで住んでいるし、気にしなくても生きていける。
 この町が、よそ者にとっても住みやすいとかいうのはそういう風土があるのだろう。
 簡単に言うと実にフランクな社会である。

 そこで、この関係が比較的、これからを牽引していくのかもしれないというを今回、分かった
(良いか、悪いか、その価値的判断は別として)。

… …

 「地域的コミュニティ」
 しつこいようだが、このキーワードが、今回の1つだったと思う。

 この力が強くなることがこれからの復興に欠かせない。
 このことば、他に何とも表しにくい。
 「住民パワー」、「自助」?ま、そして、これを促すこと?支援?

 多分、そんな意味を込めて、北原先生は、
 「エンパワーメント」と言いたかったのだと思うが…

 何と、地元紙「岩手日々新聞」は、「権限委譲」と訳してしまった。
 北原先生、ガッカリしてた。

 「エンパワーメント」
  (MBA経営辞書の解説).
「与えられた業務目標を達成するために、組織の構成員に自律的に行動する力を与えること。ビジネスにおけるエンパワーメントの特徴は、「自律性を促し」、「支援する」ことにある。」
http://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88


… … 

 今回は、「支援」とは何か?
 そこにキーがあったと思う。

 「支援」は、北は先生曰く
 時間軸で言うと
 英語で
 「ヘルプ→サポート→エンパワーメント」

 「ヘルプ」は、まさに緊急を要する事案。
 まさに、震災当初から数日、数ヶ月の間。
 まさに、命の救助からインフラ整備。

 そして、
 「サポート」
 インフラもや生活支援、例えば、住宅とかの整備など。

 で、
 「エンパワーメントEmpowerment」
 まさに、先ほど載せたとおり。

 次は、それぞれの地域に「自律に行動する力を与えること。」

それを何と、「権限委譲」なんて訳で載せられたものだから、
おぉ~
 に、なってしまったので…

 
 被災地は、震災の時には、自助努力してきていた。
 命の危険があったり、明日も見えない状況下で、皆は自分自身を時に犠牲にして、全体が良い方向に向かわせようと努力した。
 それらは、テレビでも取り上げられている。

 しかし、現在、生活も安定方向に向かうと

 結局は、以前の問題はそのまま現れてきて…

 止まらぬ人口減、過疎化の問題、
 特にも、今、地方で地域コミュニティが都会並みになくなりつつある。
 となりの人は何するひとぞ…の世界が広がっている。

 その中で、自分たちの問題は自分たちで解決していくという本来の地域コミュニティが段々、なくなりつつある。

 これをどうにかしなければならない。

 というのが、今回の話であった気がする。

… …

 今や行政には、これ以上の住民サービスをする余裕は、金銭的にも人的にも不可能である。
 かといって、今まで、むしろ、やり過ぎたと言われる面もある。

 ここにきて、行政、地域住民、それをまたぐように、NPO、また、企業、これらがつながって、それぞれが今までのからを破っていくことが必要だということが分かる。

… …

 最近、日本のインフラを海外に輸出しようという動きが進んでいる。
 以前からの新幹線(「ビジネス」つけると良いか?)。
 車両というハードだけでなく、運用システムなどのソフトウェアまで…

 近年では、上下水道をも官民挙げて、海外に売り込んでいる。

 それを考えるとこのようにインフラ整備というのは、単なるハードを指すのではないことを示している。

 震災を通して、私たちは何を学ぶのか?

 それは、次、どうやってソフトウェアなどのシステムを進んでいる地域から、必要とする地域へ。

 これが、「エンパワーメント」ではないだろうか。

 では、なぜに、それがうまくいかないのか。
 いずれ、これも書いていかないと思う。 

… …

 読んでも、単なる私見だろうかもしないが…

 私なり解釈して、書いたつもりである。

 少なくとも、岩手日報や岩手日々よりは良いかと思う。

… …

 時々、こういった会や先生たちと話す機会があって、
自分の役割って何だろう?とか考えるが…

 教育に生かすこと?

 それも大事。

 でも、実はやることがあるのだろう。

 ある程度、こういった難しいことを少しでも分かりやすく、解説すること。

 多分、そういう仕事をしているのだよ。

 出ている方々は、みんな頭が良いからさ…
 話していること、分かっているけど、
 やっぱり、一般人は難しいし、知識がないのだよ…

 例えば、企業、民間、NPOの役割の変化などは、それこそ、ドラッカーさんがずっと昔から言っているので、
 それくらいは、分かるだろうくらいで、多分、話しているだろう…

(決して、それを批判的に申しているのではない。それ、当然だもの。知っているの(^□^)なんて…ポーターまでいっちゃう?なんてな…あなたはワタミの社長ですか…)

… …

 わたしは、今回の話を聴いていて、マズローを考えてたよ…

 身の危険が感じるときには、やっぱりそれを回避しようと必死になるけど…
 それが和らぐとまぁ、自分自身に戻ってくる…
 それこそ、「自己実現」?ということなのだろうか?

 でも、本当に、「自己実現」までいくほど、「下位欲求」が満たされているの?

 本当は、そこに課題はあるのだろうね…
(マズローは、意外に「自己実現」を強調したかったのではなく、「下位欲求」が本当に社会で満たされているのかを問いたかったと私は思っている。)

… …

 あえて、最後、難しい話を書いてみた。

 というのが、今回の私の感じたこと。
おぉ、忙しくて、「あまちゃん」見ずに出かけてしもうて…

 今、見てて、

 来週は、かの震災か…

 で、思い出したように、出して悪いのだが…

 先々週、震災の跡を友人と周り歩いたのを載せようかと思い…

 「南三陸町 防災対策庁舎」



 いってみるだけでも、あのころの映像を思い出して、
 正直、背筋が凍る。

 石巻線。
 ラッピング電車。

 

 土日の限定列車。

 確か、イトチュウの提供だったような…

 そして、この駅から先は、線路がないので、ここが終点。

 行ったとき、たまたた前を通り過ぎ、それを追いかけてみた。

 地方のローカル線を走る姿を追いかけるのは、至難の業なのさ。

 復興に向け、快走中!


 「大槌町役場」

 

 ここだけ残している…
 時間が止まった感じ…

 震災から1ヶ月で、私は、母校「東京学芸大学」で、同窓会長さんと話をして、それが、
HP紹介、同窓会誌に載り…

http://www.u-gakugei.ac.jp/~dousou/1/contents/kaichou/s1.html

 その東京に行く理由が、この一緒に回った友人がその時、結婚するから、無理に、東京に行かなければならなかったということ。

 
 ドラマでは、先に、「空飛ぶ広報室」で、震災を取り上げられての2番手ですが…

 来週は、どうやら、「あまちゃん」で震災のようです。

 どのような展開になるか…

 楽しみにしています。
複雑な気持ち…

 最近、半分、嫌なことは忘れていきたいと感じるようにもなってきたのと
決して、それは忘れてはいけないという気持ち。

 そんな中、HKのEテレで、やっていたのを見ました。

シンサイミライ学校 いのちを守る特別授業「私たちがふるさとを守る~釜石の奇跡」
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20130720-31-29204


 和歌山県田辺市の高雄中学校で始まった“釜石の奇跡”を生んだ片田敏孝教授による津波防災の特別授業の様子とその授業を受け、奮闘する中学生の1年間の活動をまとめたものでした。
(同HPの紹介の要約)

 群馬大学大学院片田敏孝教授の「シンサイミライ学校」は同テレビで、シリーズ化されており、NHKオンラインで視聴可能のようです。

 一昨年前に、釜石のボランティアに行った私としても、鵜住居地域のことでしたの見ていて、いろいろと考えさせられました。

http://furudate.omiki.com/boran20120226.html

  田辺の中学生の様子を見て、私たち、岩手の人間ももう一度、考えてみなければと思います。

 そして、私たちにこれから何が出来るのか?

 私たちはこの震災から得たものを教える立場だけではなく、また、そこから今でも学ぶ姿勢をいつまでも持ち続けるべきだと考えます。

 そして、私たちは、過去を忘れずに、そして、今を伝えること。だろうか?

 久々に震災関係、書いていて、うまく言葉がまとまりませんが終わります。
 今日は、3月11日。
 かの地震から2年。黙祷を行った日。
 今年は、昨年と違って、平日。
 
 そして、今日は卒業式予行。
 あの時も、卒業式の予行の日でした。

 昨日もたくさんのテレビ番組を見ました。
 2年たち、様々なことが新しい事実として出てきたようです。
 半面、未だに進まない復興の様子も…

 私たちは、これから何を考えていけば良いのでしょうか。

 様々なテレビで言っていたのは、
記録をしっかり残すこと。
 確かに、そういうことなのかと思ったりもする2年目の寒き日です。
 テレビを見て、思わず、書かずにいられなかったこと。
「3.11 あの日から2年 わが子へ~大川小学校 遺族たちの2年~」
2013年3月8日(金) 午後10時00分~10時49分
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0308/index.html
 私たちは、この震災から、何を学んだのだろう?
 2年がたち、人々が復興に心がやっと向かうようになり、今年はそのようなテレビ番組が多いように
感じます。
 そんな中で、ちょっと異例ともいえるような番組でした。
 整理のつかない問題。
 私たち教員は、この問題に真剣に学ばないと思います。
 岩手では、先の震災で教員がいる状態の学校で命を落とした事例がないとのことで、 どうも、
これらの研究が今ひとつされていない気がします。
 この大川小学校の事例を真剣に受け止め、もしかしたら、このようなことがあったかもしれないと
常に危機感を持って、今後、学校運営にあたるべきかと考えます。

 さて、今回の中身。実にシビアな問題をいつくか提示してくれています。
 第一が、自身が教員でありながら、大川小学校に通っていた児童が学校で亡くなったということ。
 第二が、大川小学校の担任の教員の父母がその後、どうこの事態と向き合ってきたのかということ。
 現在、大川小学校の津波の対処について、亡くなった児童を持つ保護者(遺族)は、納得のいく
回答が 得られなかったとのことで、当該教育員会に、真相の解明を求めて、記者会見を起こし、
その真相を改めて、教育員会が専門家を交え、検証し、回答するということになりそうです。

 そこで、遺族の一人から、その時の教師に対しては、恨みはないとの会見を新聞で見た教師の 両親。
そして、隣に実は、教師の亡くなった教え子の祖母が住んでいたという事実。  最後に、その祖母が、
教師の両親が、一生懸命に育てた花ボタンを大川小学校に飾りたいと申し出、 それを飾る日には、
両親は、出席を見合わせ、こっそり、後日、その飾られた様子を見に行く…

 教員をしている私としては、涙なくては見られない内容でした。
 埃ある我が子が、可愛い子供たちの加害者なのか…

 ここからは、自分の考え

 もし、大川小学校で、遺族が納得できないということで、民事訴訟がおこせば、当然、監督責任者で
ある、学校長を含む教職員の責任についての議論になり、
 「学校事故」として扱えば、通常、教職員側に過失ありとして、賠償責任が課せられる可能性は 十分
に高い
(国賠法の関係上、直接的に、個々の教職員が賠償責任を直接に負わされる可能性は、 彼らが亡くなっ
たいうことも含め、まずないと思うが…が、故、過失責任を負わせやすくなるだろう)。

 そうした、過失責任を問われてしまうと、もっと、この教師の両親は、肩身が狭かろうと考えると
この国の「学校事故」の制度は、何ともとも思いますが…それは、さておいても…

 ま、いずれにせよ、岩手県は、となりの宮城県の事例をもっと、しっかりフォローすべきかと 思った
話でした。

 思わず、書かずにいられなかったテレビ番組でした。
 あと少しで、震災から2年。
 今年は少し落ち着いて、様々なテレビ番組も多くあるようです。
 特にも、先週あたりから、今週末まで…
 先週は、「池上」さんの番組ありましたし、
 NHKでは、その特集でビッグテータ-の話…

 私が見ている番組でも…
「謎解き!江戸のススメ」でも
49号のテーマは「震災からの復興」( 2013年3月11日放送予定)
 無論、「ガイヤの夜明け」では、昨日、放送したようですが…
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber3/preview_20130305.html
 BSでは、これからです…

 明日は、公立高等学校の入試日。
 2年前は、地震がありました。予震とか前震とかその後、言われました。
 試験の時間が延びたとか、影響もありました。
 あれから2年。

 今年の3月11日は、月曜日。
 同じく、卒業式予行の日。
 無事に今年は…って、思ってしまう今日です。
 「地震が起きても揺れない場所が遠野市内に12カ所ある」
との記事。

 ただ読んでいると、
ま、遠野あたりの伝説にありがちな…って、くらいでしたが…

 記事には、
「「地森」という地域は、「地震森」が変化したものとみられている」と
のこと。

 そこで、思ったのは…

 私のかつて住んでいたアパートの地名は、「遠野市松崎町字地森」
まさに、そのこと?
 田んぼの真ん中のアパートでしたがね…

 ちなみに、このような場所は、
「地震の時はここに逃げろ」と地元で岩照れている場所」が5カ所
あるとのこと。

 って、ことでは、私の住んでいた場所は?
と思ったので、食いついて、思わず書いてしましました。
今日から、NHKで、「八重の桜」が放送されます。
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/

 このドラマは、震災の復興にとの、NHKの思いの込められたドラマです。
 ぜひ、応援していきたいと思っております。

 そして、私ごととしては、昨年夏に、初めて会津に足を踏み入れ、
鶴ヶ城、飯盛山等を訪れ、戊辰戦争に思いをはせておりました…
 事実か分かりませんが、母方の祖先は、会津出身だったのでは…
との話もあり、ずっと、心の中で、行きたいと思いながら、同じ東北
いつか、行けるさ…で、ずっと、過ごしても参りましたもので…

 ちょうど、金沢に行こうとしておりましたら、そのバスが、郡山で止まると
のこと
 その足で、郡山から会津に参りました。
 たった、朝8時から夕方4時までの一日の駆け足の旅でしたが…
思ったよりは、回れました。殿様のお墓にもお参りしたし…

 実は、行く前には「八重の桜」についての知識がなく、
当日、ガイドさんに教えられての話でした。
それが、ついに、今日の放送…

 あぁ、旅日記は書いておりますが、写真と合わせて、ホムペに
まとめないとと思いながら、年を越してしまいました。

 とりあえず、今日の日にと、会津の写真をホムペのトップに貼りました。
http://furudate.omiki.com/index.htm

 あ~、写真のSDカードがないとか、騒ぎながら…

 あと、NHKといえば、岩手では、「あまちゃん」。
情報は、あまりなさそうですが、とりあえず、見つけたので、これも
リンクをつけおきます。
http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/1000/130540.html
 
 ということで、本日の話は、震災関連でしたので、すべてのブログ、
日記を共通にして、載せます。
 本日、12月7日5時過ぎ(気象庁によると18分ごろ)、久々に強い地震。
 現在、ここでは震度四との報道です。が、もっと揺れた感じでした。

 この時間、私は学校におり、進路の仕事をしておりました。
 そしたら、ユサユサという揺れを感じ…それが、長く続きました。
 気候、雪。すっかり、暗くなり…
 この時間ですから、生徒も学校に残っており、新しい校舎でもないので、
長い地震で、外に出ました。それでもゆらゆら…
 停電はありませんでした。テレビで情報を得ました。
 しばらくして、生徒を帰すように放送してもらい、家に連絡が取れる人から帰宅させ。
 落ち着いてきて、父母会から電話があったことに気づき、携帯で電話しましたが
連絡取れず…
 公衆電話から家の電話は、連絡が取れたみたいです。
 実家にも確認の電話をしました…無事でした。
 しばらくして、学校を見回りして、職員全体で集まって、確認。
 そこで、全体は解散しました。
 その後も、みんな残ってましたが、その後、ぱらぱら帰りはじめ、私も帰宅。
 自動車、フロントガラス凍結。さらに、道路凍結。つるつる…
 そして、この時間が皆、仕事場から拘束が解けたのだろう…道は、渋滞気味。
 これぞと思って、私は食料調達。ま、店には人はまばら…
 ただ、帰ってくる時に、いつも入れている安いガソリンスタンドは、車が並んでました…
 で、現在に至っています。

 かの大地震の余震は、まだまだあるのでしょうが、久々に大きな地震でビックリでした。
 特に、震源が浅いってのも気になるし…最近の千葉の地震も気になるという日です。
 今日の「読売新聞」の地方版から

 「東和-宮守 25日開通」 2012年11月14日 岩手 地方版
 
 この間の23.7kmが、今月25日、開通するということらしいです。
 正式名称「東北横断道釜石秋田道」。

 「復興道路・復興支援道路」として開通するとの記事でした。

 何と、国と地方が建設費を負担するという新直轄方式ということで、
通行料が無料になるとのこと。

 なお、この区間は、4分短縮とのいう話です。

 ま、大した短縮ではないとも言えますが、
この地域は、雪は降りますし、道路凍結もありますので…

 その点を考えるとしっかり、管理される道路が、新たに出来ることは、
とてもよいと思います。
 かつて、毎日、通っていた私としても、大歓迎です。

 震災関連ですので、今日は、ブログ、日記、すべて、このネタで…
 久々に、震災関連の話を…
 今日のインフォシークから

「被災地に142億円寄付のヤマト社長「米株主は好意的だった」」
NEWSポストセブン(2012年11月3日16時00分)
http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_151824

 ヤマトホールディングスの「木川眞社長」が
「宅急便1個につき10円の寄付」とし、
そこで集めた142億円を復興・再生事業に使うまでの苦労話が書いてありました。

 まずは、株主の意見、そして、国の意見。

 前者は、この142億円という額は、この会社の純利益の4割にもあたる額だそうで…
 これを寄付することが、株主代表訴訟の元とならないか…

 これは、社長が自らアメリカなどを回り、株主でもあるヘッジファンドなどにも丁寧に説明してきたようです。
 むしろ、社会貢献として、好意的に受け止められたとのこと。

 そして、国は、税金の件…
 この寄付行為は、課税の対象となるか…という、ことです。
説明によると「税法上、使い途を自社で決めるような寄付活動は営業活動と見なされる」場合があるということで、
 某らの団体に寄付という形でなく、直接的に、被災地の支援に使いたいという、ヤマトの行為が「営業行為」と見なされ、課税対象となる可能性があるというのをどうクリアするか…という問題に立ち向かったようです。

 つまり、某らの団体に寄付という形でなく、自ら乗り出して…としているのは、
 寄付が使われる用途をしっかり決め、スピーディに対応したいということだそうです。
(これを見るにも、何かしら、国の政策やらに考えさせられますが…)

 今のところ、これも財務省と折り合いをつけていくとうですて。

 クロネコヤマトという会社の歴史は、ある意味、国の政策とぶつかってきた歴史でもあり…

 今回は、そのような話ではないのですが…

 何とも、今の復興やその予算の使い方の状況とを鑑みて、改めて、考えさせられる、
 そして、ちょっと、良い話だなぁと…って、ことで、取り上げ見ました。

 では、今回も、日記、ブログ、共通で載せてみます。
 昨日は、防災の日。
 午前中、学校に行って、その後、仙台に行ってという忙しい一日でした。
 そういう意味では、1年半たって、大分、私たちの生活は復旧してきました。
(未だ、JRの線路が復旧できないのも事実ですが…)

 で、今日になって、昨日のテレビを録画したものを見ております。

 今年の多くのそれは、先の震災から学ぼうという姿勢がうかがえる番組が多いようです。
 今、見ている「釜石の奇跡」を扱ったNHKの放送は、まさにそのまま、それといえる感じです。
 
 
 内陸で育ち、内陸でしか教職に就いていない私でさえ、津波の怖さというのは、常に感じており
これらは、子供の頃に習った、学校の先生たちからの教えてもらったことだと思います。
 教え込みは、いけないという不思議な昨今の教育事情の中で、やっぱり、大事なことは
教え込んでこそと思わされる番組が多かったです。
 その後の応用は、そこから生まれることですね…

 なんてことを考えさせられ、つい、暑い中、書いてしまいました。
写真: 飛行機雲が伸びていました。
さして、飛行機が通るところでもないのに…
光の加減か…
やがて見えなくなりました。
 今朝の地震は、久々に、来たという感じがしました。
 先週辺りから、地震が起きていますね…
 
 青森県沖から茨城県沖で、ほぼ同日に来た日もありました。
 やっぱり、その間の三陸沖がないのがおかしいと思っていましたし…
最近、寝ていても揺れる前に目覚めてしまう感覚が戻って来た私としては
そろそろかと思っている矢先でした。
 で、ツイッターに上の写真を載せておりました。
月曜日の夕刻。いつまでも消えない飛行機雲?
次の日も、不思議な雲がありまして…
ただ、方向が北の方なので、どうかと思っておりまして…
そこ(地震)までは、書きませんでしたが…

 静かな田園風景の写真というより
ちょっと何かが起きそうな不気味な空…って、思って
自転車を止めて、写真を撮ったわけです。

 正直、まだまだ、落ち着きそうがないなぁ…って、思う今日でした。




 廣田丈自&ロンドン・メトロポリタン・オーケストラ and friends 東北3県コンサートツアー
Beyond the Requiem 未来へ」

「さくらホール大ホール」 開場 18:00 開演 18:30

 mixiに写真をアップしました。

 なんと、最後にコンサートなのに、画像を撮って良いといわれまして…

 「廣田丈自」さんの呼びかけでこのようなイベントが行われたようです。
むろん被災地支援という内容です。
http://esashioiwake.com/

 「廣田丈自」のパーカスの技術はすごかったです。
そして、プロのオケはやっぱり音が良かったです。
他、太鼓、虎舞、鬼剣舞が出演。

 だいぶ遅れましたが、報告までに…
 このブログにこのコンサートの検索で、私のブログにたどり着く方が、結構いるようで…

追伸:mixiに動画もアップしようと考えましたが、ファイルサイズが大きく、ちょっと無理のようです。
人というのは、実に忘れやすいもの…

 今日で、4年ということ…

「岩手・宮城内陸地震」
2008年(平成20年)6月14日(土)午前8時43分
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/2008_06_14_iwate-miyagi/

 私は、中総体の真っ最中で、バス移動しようとしていたところ…
バスのタイヤがバウンドして…周りもグラグラして…

 その後、無事に試合は行われましたが…

 停電もなかったですし…

 そして、あのころ、ワンセグ携帯って、便利だなぁ…って、思わされた地震でした。

 なにせ、情報機器って、持ち歩いてなんぼだしね…テレビは、情報も早いし…

 九州の友人からメールが来たりもしたし…

 あれから、今日で、4年か…

 大震災にも遭遇したし…職場も変わったし…

 そんなことを思わせられるニュースを見た木曜日でした。

 今日も日記、ブログ共通で
 おはようございます。

 今日は、雪降りな朝です。
 天気予報では、一日雪降りだそうです。
 この時期にしては、気温も低いので名残雪という感じの雪はありません…

 さて、本日は3月11日。「3.11」。
 あの日から1年経ちました。

 そして、今日は、日曜日。
 地上波のテレビ番組は、すべて、かの時間帯は特集番組です。
 私も、テレビを見ながら被災地に向け、一緒に黙祷を捧げたいと考えております。

 すなわち、今日は多くの方々が亡くなった命日にも当たる日です。
 改めてご冥福をお祈り申し上げます。
 震災から明日で1年。

 今朝のテレビを見ていたら、さすがに、そろそろ震災関係の話を整理しない
と、思い立ち、起きて、新たにホームページの作成をしました。

 昨年は、震災前、2月、東京に3日間、友人の家に泊まり
 震災後は、友人の結婚式、妹の結婚式、大学の同窓会組織への出席等々で、
10日間、合計13日東京にいたことになります。

 家族、大学時代の友人、そして、大学の先生方に1年間でこれほどに多く会
った年はないでしょう。

 まさに、「絆」を感じさせられる一年でした。

 念願だった「震災ボランティア」もようやく、することでき、こちらを震災
1年の明日に向け、アップしました。

 これから、写真を載せたり、多少の改良を加えて、いきたいと思っていま
すが、とりあえず、今日の日にアップしました。

http://furudate.omiki.com/sinsai.html

 昨日の続き…

 ボランティア当日。

 ホテルでは、6時くらいに起きまして、まずは、眺望の良い風呂に…
 さすがに、HPに載せるくらいです。綺麗でした。
 海に船がおりました。漁船ではなさそうです。

 部屋に戻ると同じ部屋の人から、朝食、やっているという話をされて朝ご飯を食べに参りました。
 まだ、6時半だったのですが…
 そこで、ゆっくりご飯を食べましたが7時。
 食堂に向かう途中に、マッサージ器があって、
 部屋に戻って、身支度を調えて、時間つぶしにマッサージ…

 そのうち、点呼が始まり、8時半にはホテルを出発。
 まずは、小佐野小学校へ…
 
 降りたは良いが、受け入れる方では、鍵が開いてないということで、しばらく外で待たされて、
 体もすっかり冷えてしまいまいた。
 やはり、この時期は寒い…

 待たされている学校の玄関も壊れていました。

 そして、向こうの先生方に、外で、備品等の運搬の説明を受けました。

 大切なもの、そして、北校舎と南校舎に分けて、トラックに搬入すること。

 私たちの仕事は、学校の荷物を市の車や運送業者の車に積んで、鵜住居の仮設校舎に運搬してもらう手伝いをするのがお仕事でした。
 あとは、最後に、机いすを廃棄するので、2階から1階に下ろす作業。
 
 しばらくして、学校に入りました。
 そこからは、もう、お仕事。
 思いの外、ものの数も多く…結構な重労働でした。

 引っ越す荷物は、現在地震で使えなくなっている校舎においてありまして…
 その教室は、立ち入り禁止区域での作業でした。
 教室の黒板の日付が3月11日でした。
 時が止まった教室からの荷物の運び出しです。

 間借りしていたのは、たぶん10ヶ月くらいですね。
 それに対してある荷物は、結構な量でした。予想以上に…
 一番目についたのは、ユニセフなどの援助物資ですね。思いの外、ありましたね…
 世界の皆様、日本の皆様、ありがとうございましたという気持ちになりました。

 そして、テレビ、電子ピアノは当然のごとく、すべて新しくなっており…
 さらに、被災した校舎から持ってきたという書類もありました。
 「発掘書類」とか、「水濡れ書類」とか表示があってそれらが被災地だなぁ…って、改めて感じさせくれました。
 
 あとは、本なども多く、辞典を運んだりするには、重くて息も切れました。
 内陸の学校よりもものはあるのかなという印象です。
 (大量に運んで、最初、冷えていた体も相当、あつくなりました…私も含め、みんな上着を脱いでいました…)

 これら、荷物や教室の様子については、写真に撮っておきました。
 荷物には、「小佐野小学校」内「鵜住居小学校」という荷札があり、これも写真に撮っておきました。 

 荷物が部屋から運び出された後は、そのあたりはカラーコーンで仕切ら
れ、立ち入り禁止区域になっていました。

 休憩時間に入った場所(多目的ホールかな?)も被災しているらしく、天井がぼろぼろでした。

 運送する車も予想以上に荷物が多く、1度で運びきれず、ここの小佐野小学校ともう一つの双葉小学校と仮設校舎をピストン輸送していました。
 行き来に往復1時間かかるようで、結構、待ち時間の多いボランティアでした。

 おかげで、時間がかかってしまい、仮設校舎での荷下ろし作業は、私たちのチームではなしとなってしまいました。
 
 それでも、午前中のボランティアの予定が、12時過ぎに終わり、その後、バスで移動し、仮設校舎を見て、お弁当を受け取り、ホテルで解散というボランティアでした。

 そして、自宅に帰ってきました。
 後で、これをHPにまとめて、写真をいれて整理したいと思います。

 最後まで、おつきあいいただきありがとうございました。
 今日の朝日新聞地方版にも鵜住居小学校の仮設校舎の話が載っていました。
 地元紙にも、一面にも載っておりました。
 子供たちの笑顔のお手伝いができたと思うとすがすがしい気持ちになりますね…

 で、話は…
 昨日の続き…

 ボランティア前日の移動は、雪降りの日でした。
 最短距離の国道107号線は、橋が通行止めとのことで、グルリと遠回りして行かなければならず…
 で、あるなら鉄道もありかなとか考えておりました。
 しかし、この雪はむしろ、鉄道さえ止めてしまうのではないかという降りよう。
 仕方なしに車で参りました。

 さすがに、道路は雪のため、ひどいもので、新仙人峠さえのろのろ運転の車のせいで、つくまでに時間がかかりました。
 ただ、余裕を持ってでかけましたので、途中、遠野の風の丘に立ち寄っても、釜石には相当早く着くことができました。

 釜石市は、昨年の5月に行った時には、新日鉄の構内にたくさんのがれきの山がありましたが、それらは片付いておりました。
 
 釜石では、スーパーによって買い物をし、駅の近くの土産物屋で土産を買ったりし
 とりえず、初めて行くホテルですので、場所を確認しました。
 つくまでにカーナビが今ひとつのナビゲーションをするものですから、迷ってしまいましたが…
 釜石大観音の下でした。

 時間があったので、釜石大観音を参詣するのも考えたのですが、なにせ、大雪で、境内を上る気にもなれず…
 
 かつての釜石の中心街でも見てみようと思い立ち、時間が空いたらコーヒーでも飲もうかくらいの気持ちで
また、車に乗りました。

 釜石のかつての中心街は、想像以上にやはり破壊されており…
 そして、復興など、まだまだ、先の話で、土曜日になのに通る車もまばらでした。
 がれきはだいぶ処理されているとはかんじましたが、まだまだだなぁ…っていう印象でした。
 途中、車を止めて、東北銀行のあった場所を写真に撮ったり…
 また、ぐるりと回って、市場のほうを行ったり…

 テレビで釜石の津波のシーンを何度も見ましたが、
 1年近く経っても、すざまさを感じるものでした。


 そこで、思ったのは、そうだ、となりの大船渡に行こうといういうことです。
 カーナビを大船渡市役所にセットすると1時間超。
 ホテルの集合時間まで2時間。
 往復だと時間が間に合わない。とは思いましたが、距離数から考えると間に合うだろう…
 という安易な考えで出発。

 ここまで来たら、大船渡は見てみたい…

 途中、工事もあり片側通行などもありましたが、雪降る中、強行しました。

 大船渡は、盛の駅から沿岸線のマイヤのあたりまで流してみました。
 かつて中学生を連れて歩いた「大船駅伝」のコースを巡りました。

 盛の駅の方は、あまり被害の様子がうかがえなかったのですが…
海沿いのマイヤの周辺は、完全にやられていました。
このマイヤは、津波の際、テレビにも出ておりましたね。

 父が、大船渡で働いていたので、ここでは、買い物もしたことがあるので…
 こんなになるなんて…って、ショックを受けました。

 さ、ホテルに帰らないと…

 途中で道の駅で、高田松原の松で作れれたという数珠を買って、ホテルに戻りました。

 ホテルでは、明日の打ち合わせと懇親会をして…
 眺望の良いお風呂だそうですが、夜は、雪のせいで何も見えず…

 部屋は静かになったら、ざーって音がする、波の音かぁ…って、夜でした。

 さ、明日に備えて、お休みなさい。

 次に続く…
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