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徒然なるままに、書き記します。
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ちょいと仕事終わって、寄り道…

 後藤野稲荷神社に参ってきた。



 神社の由来は、前九年の役とか古い時代のものらしい。
 が…
 ここは、奥寺堰とゆかりのある神社…

 伝説では、
 奥寺氏がここに祈願たら、
 神様が狐を夢に出し、奇跡を起こしたという言い伝えがある。

 難関工事であった、堰、今風に言えば、用水路を通すうえで、どこから取水するかを決めかねていたらしい…
 そもそも、高低差を考慮しないと、水は流れないので相当、苦労したらしい…
 水の取り入れ口の決定は、まさに、この工事の最大の山場だったらしい。

 それの取り入れ口を和賀川のどこにするのか?
 この時に狐が現れ、示してくれたという話のようだ…
 
 ので、この神社には、奥寺堰の説明がある。


 さて、その取り入れ口は、どこにあるかというと、現在の「景勝園」があるあたり。

 今日は、奥寺堰をさかのぼって、そこまでいってみた次第。


 現在の北上、昔の黒沢尻は、この奥寺堰のおかげで、水田が増え、町が潤ったらしい…

 今日、その後に、行ったあたりに「新穀町」など地名があるが、それらは、この新田開発で、人口が増えて増設された町の名前であると、看板が立っている。

 奥寺堰をさらに下流に行けば、奥寺神社もある。

 奥寺氏は南部氏家臣。
 「奥寺八左衛門定恒」

 相当、詳しく調べている人がいるので、以下、そちらに譲る。
http://www9.ocn.ne.jp/~tadatune/nenpu.htm

 いずれ、これを見ても分かるし、他を見ても分かるが…

 現在の北上市は、こういった人たちが活躍している。

 歴史的には、江戸時代は藩境の地。

 かつては、何もない原野に用水を引いて新田を開発し、町が栄えたというのがここの歴史。

 正直、行政組織から離れた辺境の地であったというのも事実だろう。

 町に戻り…

 諏訪町アーケードの現在。

 アーケードがなくなって、アーケード通りでは、なくなっている。
 


  

 そう、アーケードがあったところがはがされたので、上が見えてきている。

 現在、道路の方ばかりに目が向くが、この後、この景観はどうなっていくのだろう?

 まち育てが気になる…

 さて、諏訪町という名前の由来は、当然、近くの「諏訪神社」にある。
 わたしは、今日も拝んできたが、このところ、ずっと拝んでおる。

 社格、「郷社」。

 時代は坂上田村麻呂までさかのぼるらしい。



 歴史はロマンであると同時に、人々のこころの奥にしっかり刻まれたいるものである。

 ちょっとした歴史の散歩道である。

 これから、北上のまち育てに関係する方々は、ぜひにこのあたりにも足を運んでもらえたらと思い、ちょっと書いてみた。

 の東京って大雪で大変らしいねの土曜日。
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