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徒然なるままに、書き記します。
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 ふと、最初のころを思い出した。
 特にそのときのことを思い出していた。

 一人は、後で気づいたのだが、高校の同級生のお父さんだった。
 オリンピックのある年に、我が盛岡第一高等学校の同期の同窓会を行うのだが、ちょうどその年に当たって、いってみたとき、同級生の息子が話しかけてくれて、始めて、分かった。
 うちの父がおたくのところにいると…
 息子はかなりのイケメンなので気づかなかった。
 あと、数少ない文系なのにほどんど話しなかった人。のはず…
 同窓会の名簿で職の欄見て、話しかけてくれたようだ。
 確かに名字が同じ。でも、どこにでもある名字だったが…

 後で、話したら、あぁそうかい…くらいの反応だったかな?

 もう一人は、高校が同じ、いわゆる、同窓生だった。
 だからというわけでないと思うが、当時、講師であった私に結構、声を掛けてくれた。

 覚えているのは…
 何かの折(もちろん、しらふで。)

 盛岡一高から学芸大学に入ったくらいだから、優秀だったのだろう。

 って、言われたので、

 いや~たいしたことないですよ…

 なんて、中途半端な答えをしたら…

 そういう答え方って、聞く人が聞くと不愉快だ。

 って、怒られたことを思い出す。

 つまり、分かっている相手なら、変な謙遜などするとそれこそ失礼で、堂々と「そうです」くらい言っておけ…
 くらいの話だったかな。

 ま、当時は、講師で、初任者がいて、それよりも下でって感覚でいたので、自分を卑下していたかな。
 事実、あまり仕事も出来なかったし、分からなかったし…
 周りに溶け込もうと必死だったのかも…
 目立たぬよう合わせよう合わせようと必死だったのかも…

 そういう感覚の人がいるってことを教えられた。
(必ずしも、そういう人ばかり出ないのも、この前知った。)

 つまり、ちょっと、とがってろよ。
 みんなが見ている目は、そういう目ではないんだぞ…
 って、ところだろうかな?
 結構、普段、ショボーンとしていたのだろうか?
 プライドもって、元気出せ!って、ことだろうか?

 厳しいことも言われてかもしれないが、本当によく見て、的確に話をしてくれたのだと今になっても、思ってます。
 ありがとうございました。

 だって、

 そもそも、数的にマイノリティーだから…
 いざ、困ったときには、やっぱり、同級生、先輩、後輩、大事でしょ。いないだよね、近くに…
 みんな遠いのさ…


 私の父親は周りの人に…
 
 わたしのような人は、周囲とのギャップに気づいて、仕事をやめてしまう傾向が高いから、注意して見ておくように相当言われたようだ。
 3ヶ月、3年…って、区切りが、あるからそういったときに特に気をつけろと…
(初任研でもいわれるけどさ。あと、私の初任の中学校の同期は、3人中2人やめているし…って、ことで、私だけ生き残り。)

 で、何かと父も声を掛けてくれていた。
 実際に動いてもくれた。
 父の周りの人は、せっかく、岩手に帰ってきた優秀な息子を離すなよって、常にメッセージを与えてくれていた。


 うん、周りの人には生意気そうだけど思われるけど、ある意味、生意気にやらないとならないし、埋没できないのだよね…そもそも…

 って、ことで、いい人に囲まれているシリーズ。でした。

 あと、なぜ、家を買ったのかと言われるが、それもあるのさ。ローン抱えると、やめられないじゃん、仕事。 
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 若い頃、言われたことをたまに思い出す…
 人の話は、やっぱりちゃんと聞いておいた方が良い。
 結構、良く当たっているとこの年くらいにぐっとくる。

 最初、働いた頃は、24,5の若者で、まだ、ブンブンって感じの人だったと思う。
 6分の5だったら、張り切って、最後の6では、声がかれていた。
 週末は、ガラガラ声だった。

 当時、実家から通っていたので、それを親に言ったら、力加減が分からないからさ…と、言われた。

 とあるところで、あまりに反応が良すぎるので、
 「訳の分からないワンダーランドだね…」って、言ってしまって、後々まで、それを言われた。

 あと、当時、オウム真理教が、逮捕された時期だったのが、阿佐谷に住んでいた私は、参院選で、立候補したときに演説している「あさはら」見たことがあるとかしゃべったら、「オウム?」とか、真顔で言われた。
 周囲にも、そうなの?とか、冗談言われた。
 しばらく、からかわれていた。いや、ずっとか…

 もの静かさそうな女の子たちが、隣の人に毎日来ていた。
 で、しばらくして、隣の人が分かっていると思うけど…って、言われた。
 全然、いや、ちょっとは気づいていたがくらいだった。
 そのうち、来なくなったか?確か…

 ある日。ベランダに出たまま、そのまま入れずで、怒られていた。
 全然、気づかなかった…君が気にすることでない。あることだしと言われた。
 なんだよ…って、そのとき思ったし、何で、私が怒られないのもなんだなぁ…って感じていたが…
 今になれば、いろいろご配慮ありがとうございました。だ。
 何よりも、気づいてあげられなくて、ごめんなさい。だ。

 確か、送別会の時、とある女性から、君は、女の子に関しては、見ていて、自分から見つけるのは難しそうだと言われた。
 だから、うちの娘をあげるがどうか…と、言われた。
 酒宴だったし、ま、唐突な話だったし、まさか、そんなこと言われるほどでも…
 だいたい、その娘、知っている人だったし。ね。
 そもそも、お母さん、娘の気持ちはどうなんだい?って、聞きはしないが、思ったり…
 隣の人は、良いじゃないかとか、言ってた…確か…

 つまり、私は鈍いのさ。
 って、気づくのに、最近までかかった。

 こういった本当に心配してくれる人の言うことは聞いた方が良い。
 提案聞いていたら、悩み事少なかったのにね…
 だいたい、何年待つのよ…って、そのとき、思っていたが、待つだけの時間は十分にあったなぁ…

 って、笑い話ばかりある。
 今日は、代休日。月曜日でもお休みさ…
 間違って、昨日の新聞読んでしまい、な?何?の朝。
 そっか、昨日、新聞読んでなかったのね…

 いろいろとあったけど、
 気がついたら、受け取ったボールは、キャッチして、返してあげると良いんだな…
 今まで、そういう考え方なかったので、
 俺は、リトマス試験紙でねぇ…理科の実験じゃないのに…
 よく考えると、投げられたボールにただ当たっていたので、イテ…だけだったのね…
 反応見て楽しまれていたのではなく、返さないあんたが悪いと気づいたよ。
 ごめんさい…で、今までも…後悔の念。
 気づくの遅いし…
 で、返すとあとは、やることがないので、スッキリするわけだ…納得。

 お勉強していて、気づいたのは、あぁ、そういえば、職場でこういったことをしているなぁ…って、こと。
 何かにつけて、上の方々は、こういうことに気をつけて、やっているのだと思いました。
 「特別支援」、「情報教育」、「図書館」、当然、「生きる力」、「PDCAサイクル」。
 全部、現代的な課題として、取り上げられるのね…
 
 平の社員って、日常的な教育の機会が圧倒的に少なく、自分で勉強しないとならないので、よっぽど気合いでもいれないと気づけないよね…
 もっと、研修の機会が増えるような仕事になりたいものだな…
 このての話、好きだし…
 多分、この気持ち自体、分からない人には、やっぱ変だとか思われるのだろう…
 上昇志向とか言われたこともあるが…
 だって、そういう性格だもの。やってないこと、やってみたいもの…
 じゃなきゃ、親にたくさんお金掛けてもらってまで、東京行って、さらに大学院に行った意味なくない?

 って、自分に気合い入れながら頑張るさ…

 で、勉強していると楽しくなるのも不思議…の月曜の昼前。
 日曜劇場『空飛ぶ広報室』見終わった。
http://www.tbs.co.jp/soratobu-tbs/

 正直、ガチではまるんだけど…

 今日は、恋愛、職場内の人間関係、そして、教育。
 まさにリアルです。

 新垣結衣の壊れ方も、なかなかおもしろいです。

 自分が出世を望ます広報室にいるのは、広報室に来る人たちを育てるのが、自分の使命だと感じている。
 それに対して、なんで、試験受けないんだよ。楽しているだけじゃん…って、感じる人。
 それが二人をわだかまらせる。

 で、主人公、それに絡んで、アイドル企画持ってくる。

 クライマックスは、企画書をみんなで作るってシーン。
 おまえのここが悪いとか、指摘して、こうすれば良いとか率直に言って
 一つになって、企画書を仕上げる。
 後輩の家まで行ってさ…

 それをさらに上司が、頭を下げて上に通してもらって。

 良いチームだな…
 まさにOJTだな…

 自分たちの若かかりし頃って、こんなこと日常的にあったなぁ…
 よく、こうやって助けてもらったよ…

 主人公の生意気感、お節介感…うわ~、自分見ているよう…

 で、ドラマは新垣結衣も、後輩を育てようと決意する。

 周りの人たちが育ってくれるって、それ自体が楽しみなのさ…仕事って…

 でも、恋愛は全然、進展しないさ…勘違いなのにさ…って。
 互いに思い合っているのに残念。

 で、最後。主人公に逃げてないであたってみたら…くらいの先輩の一言。

 リアルにはまっちゃうよ…
 どうも教えられてるよ…確実に…なぜ?
 なんじゃ、こりゃ…
 で、お休みなさい…

 八重の桜は、今日は「鳥羽伏見」の戦いだった…

 おぉ、昨年の11月に行ったし、伏見。

 最後の場所紹介で、「伏見」出てました。

 今、伏見奉行所は、市営アパートなんだよね…
 すっかり跡がなくなって…

 理由は、第二次世界大戦後、連合国軍に接収されたのが原因だそうで…
 それが市に変化されて、アパートになったようで…

 で、あのあたり、ウロウロして、京都最後の夜を過ごして、飲んで…

 行ったところが、テレビに出ると楽しいね…

 母の実家は、遠い昔、会津武士だったって言っているので、会津藩、かなり気になるし…

 あぁ、戊辰戦争は、このあと、東海道来て、江戸来て、会津に行って、伊達、南部に来て、最後、北海道か…

 前半のクライマックスは6月にかかるのかな?

 これから、錦の御旗か…鳥羽伏見の戦いは…

 これで、完全に賊軍化して、混乱に陥るだよね。
 撮りおきしておいたテレビを見た。
 「味いちもんめ」。
 自分と重なって、泣けちゃった…

 調べると1995年ドラマスタート。
 そっか、自分の働いき始めた年ともある程度は、ダブるのか…

 あのとき、追い回しで入った「中井」くんも立派な板前になったな…
 (しかし、髪の変化は、ちょっとね…なんて…)

 今回のドラマは、料亭「ふじむら」をやめて、テレビの料理対決に出るという設定。
 収録の日は、あいにくの体調で…

 最初、ごちゃごちゃになるが
 しかし、彼のキャリアが、彼の料理を支え…

 その間に父の死。

 結局、中井くんが勝つのだが…

 父の葬式の日。
 料亭「ふじむら」から助っ人が来て、料理が出されるシーン。
 遺族である「中井」くんではあるが、料理が作りたいって、言って…
 豆腐田楽を作る。

 お父さんが、始めて褒めてくれた料理だった。

 父親とは、そりも合わず、何か対立してばかり…口うるさいし…
 でも、実はいつも見守ってくれていた…

 亡くなって、始めて、そのありがたみが分かったよ…

 って、話。

 それも、1995年の映像が、そこに現れるのよ…

 これが、ドラマだと古い映像って、そのときに撮るじゃん…
 でも、全部、昔の映像で、撮りためたものから出せるわけ…

 泣けるじゃん。

 同世代としては…

 大事な人が亡くなる辛さを何度か味わった人としては…

 ありがとうって、伝えたいとき、気づいたときにはその人はいない。

 怒ったり、励ましてくれたり、実は、愛情がとってもあってそうしてくれたこと、感謝しないとならないのにね…

 伝えないと気持ちが腐っちゃうぞ…

 とは、先週の日曜劇場「空飛ぶ広報室」の新垣結衣の上司の一言。
 で、新垣結衣は、直接行動に出ます。
 ただし、結末は…って、ところから、本日。

 あぁ、今日はさ、紫波稲荷神社で買った腕輪が壊れたのさ…
 桑の木で、作られているんだけど、それが、ゴムがぷっちと切れてさ、転がってさ…
 ミサンガなら、良い兆し?なの?

 全然、分かんないさの日曜日。 
 
 帰り道、ぱしりと撮影。



 水田、水貼ってます。

 温度上がって、全体がこんな雰囲気になってます。

 ちょっと、今年は遅いのだろうか?

 遅い春です…
 整骨院から帰ってきた。

 ゆびのちりちりは、治りません。理由?パソコン?って言ってたら、もっと、パソコンを使っている人は、
 ごまんといますが…

 って、言われて、その通りだと思った。

 で、

 うわ~、考えると「魔」にすっかり心が…って…心の「魔」にビックリ…「間」に「魔」。

 冷静になると、なんてこった…げ・げ・げ…落ちると、こうなっていくのか…
 気づいて良かった。気づかせてもらって良かった。

 よく、こんなことありえないとか思って見てますが…こうなっていくのね…
 
 で、今日は元気ないね、とか、疲れているとか言われたが、そう、冷静になって
疲れが出てきたのさ…

 怖くなってきたのさ…
 こういうことなのね…って、ことで…

 で、いろいろごめんなさい。

 おぉ…いや、いや…ほんと…

 「間」が、いけないのさ…「間抜けて」…
 大変だ、トイレが水びだしだ…
 百均で買った、トイレに入れる青い奴。
 なんと、しっかり詰まりまして、っても、そっちのつまりでなくて…
 水の出口に詰まって、水出っぱなし…

 もう、原因が分からずに、水ばっかりが流れるし…
 おまけに元栓、堅くなって、動かないし、閉じないし…

 もう、だから百均は…の典型例さ…

 今日は、寝られるかな?

 どれだけ、人が良いのだろう?

 昨日は、教え子見つけて、気持ちよく寝つけたのに…

 でも、起きちゃった。

 何で起きちゃうんだろう?しかも、同じ時間だ。ほぼ…
 今日は、勉強する予定だった、すっかり余計なことに時間が取れて…
 何か、阿呆らしいぜよ…

 そう、なんで、自分が大学、そして、大学院と法律学の方に進んだかと考えみた。

 大学受験も。
 経営学部、経済学部、商学部、社会学、法学部、そして、教育学部。
 って、そもそも、東京に行きたかったから、最後、教育学部を受けただけ。
 ま、学芸大は、社会科に入ると人文科学、社会科学に分けられるのは、知っていたが…

 基本、経済学系や経営学系の学校に行きたかった。
 将来は、銀行とかには行って、独立して、会社経営なんかが高校の最後の夢。

 でも、学芸大学に入ると、なぜか、「法学政治学教室」に入った。
 結構、未だになぜに?なのだが。

 うん、大学1年の4月になぜか、法律学にいきたくなったのだよ。

 多分、民法とかやっていると人からだまされてたりしないと思ったのか?
 将来、教員になろうと思っていなかったので、つぶしがきくのは、法律か?くらいの感覚だったのかな?

 なぜに、経済学に行こうとしなかったのかは未だに理由が見つからない…

 ま、結果。
 とっても、とっても大正解。

 で、なければ、ずっと書いてきたような先生たちに会えなかっただろうし…

 で、そうはいうものの法学政治学教室のゼミ合宿は、1年生から一度も欠かしたことないし…
 たぶん、その合宿で、えらそうに先生たちをまえに話をしたりしていたので、顔を覚えてもらっていたし…

 ふと、思うのは、そういった偉い先生たちの懐に入るのうまいということなんだよね。
 意識してそうしているわけでもないが…

 気になったら、話をしてみた。話をしていたら、盛り上がった。
 楽しいからまた、話そうと言われたり…

 で、現在。

 こっち帰ってきて、初任研などで、指導主事の先生などがいろいろというでしょ。
 こういう生活してきたら違和感だらけよ…

 でも、初任研でもピンチになったら、そのときの校長先生が助けてくれたりして…

 で、いっつも、助けてくれるんだよね…
 良い人に囲まれる生活です。話、相当ずれた…

 話戻して…
 結構、変な選択しているようで、結果、良かったと思えることが多い。

 大学だってそうだよね…

 何で、教員目指していたわけでもなく、東京学芸大学の教員養成?って、感じですが
(いろいろあるんだな、人生には。いつかこれが書きたいのだが、大作になるので、時間がない。)
 最終的な人生の結果、悪くない(現在。将来はどうかは知らないが)…

 でかい大学の目立たない学生よりは、小さな大学の目立った学生も悪くない…

 なんて、よく分からないけど、あまり、あのとき、選択をどうしておけば…って、今までないのさ。

 で、今なのさ。分かんないのさ…今の方が?まったく、悩んじゃう…
 今日も、自分の書いたブログを読み返してみた。

 角替先生について書いたブログは、また、読み返してみても、何度見ても泣ける。
 多分、今まで書いた中でも傑作の一つだよ…

 今日は、教え子に会った。
 今日会って、久しぶりに話をした。

 人のことなんか、全然覚えていなかった感じ…ただ、とりあえずの認識はしてくれた。
 相変わらずのボケぶりに笑った。
 久しぶりだか、始めてだか分からないが二人で笑った。
 あのね、俺が、あんたの推薦書書いたんですがとは言ってこなかった…
 だから、こっちの方が、圧倒的に情報量が多い。
 誰に教えを請うたのだと思ったりするが、天につばをはく行為なので、やめておこう。

 思ったのは、この笑顔は、私が別れてから、多くの良い大人たちに育ててもらった証なのだと思う。
 とっても良い表情だった。

 だから、今日は気分が良かった。
 良い笑顔に朝、6時半から会えた。
(今は、相当、眠いが(*^_^*))

 そういう不思議な日だった。
 しばらく、会って話したいと思っても、なかなか出来なかったのに、今日は、全くの偶然で、こんな良い時間を与えてもらった。

  明日も、良い日であれば良いな…
  自分、いい人であれば良いな…
  明日、天気にな~れ
  皆に幸あれ

  お休みなさい…
 朝は、最悪だったが…
 +今日の締め切りの文書が…朝に来て…せっかく、早く行ったのに意味がなくなった…
 今日は担任が早く来られないので、頼まれて7時半に行ったのに…
 週の走り出しにしては、どうよ…の朝。

 でも、昨日、やることを決めていて…
 洗面所を掃除しないと…去年、頑張って、綺麗にしていたのだから、少しは…
 来た年は、手も付けたくなかったけど、次の年、副担になって、1年キープしてみた。
 
 思い出した。
 院生の時に、指導教官の福永先生の研究室で、二人きりになると必ず、先生がカップに付けるドリップ式のコーヒーを出して、一緒に飲もうと言ってくれる。学部生の時からかな?ま、コーヒーブレイク。

 当然、院生の私が、ポットのお湯を入れて、コーヒーを2杯、入れる。
 ドリップを洗面所に置いて、二人で飲む。当然、洗面所が汚れる。教室は男所帯。

 当たり前だが、私が汚くなるとスポンジ借りて、洗っておきます…の世界。

 なんで、こんなに他人の洗面所が気になるかなぁ…って、昨日考えていたら、原点はそこにあった。
 自分の家の洗面所が綺麗であるかはさておいても、先生の研究室の洗面所は気になる。
 先生も綺麗好きだが、そこまでは…って感じだったし。当然といえば、当然の私の仕事だし…
 世話になっているのは、それ以上だし…

 何せ、奥さんに頼んでだろう、常に、毎週、コーヒーを切らさないようにしてくれる。
 私となんかと一緒に飲んでくれることを楽しんでくれるなら、そんなことくらいさ。
 さすがに、それくらいの先生の配慮は、学生の私だって分かる。

 だから、洗面所、近くにあると綺麗にしたくなるんだよね…習性?
 で、昨日から気になった。あそこ綺麗かな?
 去年は使っていたから、綺麗にしていたけど、使わなくたって、綺麗にしておこうって気持ちになった。
 で、案の定、汚かった。洗った。気持ちが良かった。晴れた。

 今日は、午前中、角替先生を思い出しては、うっと詰まって、泣いて。
 恥ずかしいから、ウロウロしていた。授業中でさえ、涙が出そうだった。目が真っ赤だった。
 何で、死んでまで心配かけてるんだと思うと、目が熱くなった。困った。

 午後、冷静になって、どうだろうと思った。
 なぜ、角替先生は出てきたのだろう?
 うまくいかなかった時の緩和のため?涙が涸れていれば、それ以上出ない?

 じゃ、なんで、角替先生は、こうした暗示をくれたのかな?
 まるで分からなくなって、それこそ、ウロウロしたり、考え込んだり。
 外は、寒くて、眠れないし…

 柔剣は、暖かくて、こっちは、むしろ、ぼんやりしていた。
 終わって、掃除。担任いないので、代わりに帰りの会をした。

 午後(ちょいちょい、職員室を行き来して)に、体育祭のご苦労さん会の手配、弁当の手配を済ませた。
 これが難しいのは、雨天時の順延まで、交渉しなければならないからだ…
 今回は、幹事楽団ではない。でも、去年、やってもらっていた。とても気にしていたのでうまくタイミングがあって、やって、むしろ、やらせてもらってスッキリした。
 去年からもやっとしてたので…1年気にしていたので…
 やれば、ちょちょいのちょいでできてしまう自分はすごいと自画自賛。

 クラブ。コーチが来てくれた。
 もう一人コーチも来て、お腹の具合が悪くて、土曜日帰ったので、その後の様子を聞いたみた。
 大変だったらしい。彼は顔を出して、すぐに帰って行った。
 もう一人のコーチが一生懸命に指導してくれた。
 こんな何も出来ない顧問につきあってくれ、おまけに、私、わがままだし、勝手だしなと思ったら、感謝してつきあわないとと思った。
 いつか、ちゃんと声を出して、感謝の気持ちを伝えていきたい。

 ふと、なんで、私の先生たちは、私に優しく接してくれたのかと考えた。
 答えは、多分、優しく接しているのではなく、それが当たり前だと考える人たちだからだと思った。
 聞いたら、当たり前のことをしているだけと言われそうだ。なのだ。
 ただ、みんな、人に利用される人になってはならないということを言ってくれる人たちだった。
 だから、彼らは、私には、そういった人のためになることを当たり前だと思ってやっているだけだと思った、
 自分は恵まれている。何か、勝手に目頭熱くなった。

 帰り自転車で考え事しながら帰った。
 また、私の先生たちはなぜ、私にこんなに優しいのだろう?
 当然、彼らが育ちの良い良い人たちだからだろう。
 でも、清水先生なんかに、そんなことを聞くと
「古舘君がみんな好きだからに決まってるんじゃん。誰にだってやるわけでない。可愛いからさ。」って、軽く言われそうだ。
 他の人に簡単にいえそうにないことを軽く言ってくれそうだ。
 自分もそうしたいな。気持ちが、そう、ポジティブな言葉で出せるとよいな…
 できなかったものな…自分。

 ここ数日は、角替先生などを思い出しては、泣けてくるだろうな。

 決して、不安定だからでなく…そう思う週の初め、月曜日。
 今日一日、ずっと、これ書いて、出かけて、これ書いて。
 まだ、勉強していない…

 うわ~あと、自分ってこの分野は、ほんと他力本願だよ。
 自分の力で何か出来てない…意気地がない…冷静に考えると、そうだよ…
 直接行動したのは、手紙だけだし、それ以外は、誘い待ってるし…うわ。

 あと、ひかるちゃんの話を思い出して、温泉までドライブしたら…
 そっか、大学の中で、一番得をしたのは、結局、俺か?って考えたら、笑えた。
 書いてて、自分の欲しいもの手に入れてんじゃねえよ…って、思ったが、一番は、俺か?
 だから、こんなにわがままになってくのか…
 そろそろそいった生活はやめよう…

 こんなこと書いていたら、本棚からこんなのできた。



 「ジュリスト」法律雑誌。 法律関係者なら知らぬ人はいない…
 これ、「角替晃」先生に直接もらったのですよ。書いたので、雑誌社からもらったのであげると…
 この時、東京に行って、東京学芸大学に寄ったら、夜のみに行こうってなって、
 吉祥寺の日本酒のおいしいお店で、飲ませてもらいました。
 先生は、飲めない人だと思っていましたので、ちょっとビックリ。
 飲めるようになったんだとかで。
 思い出しました、公民学会で学芸大学が会場だったので、連絡したのでした。
 これが最後の飲み会。2人きり。

 私、国分寺に宿を取っていたので、町田に住む先生とは武蔵境でお別れ。直接会ったのは、そして、ものをこのようにもらったのは最後だったかな?
 もらったとき、そんな予感もなかったわけでもないので、とりあえず、とってました。そして、とりあえず、大事に。遺品となるのか。考えると。本が唯一の遺品となるのも先生らしい。

 彼の研究分野は、「表現の自由」。
 これ、恩師「奥平康弘」先生のも載っているのでしたね。
 角替先生は、いつも、自分のところには、「わいせつ」やら「天皇」やらややこしいものばかり原稿を頼まれる。
 と、言ってましたよね。

 で、私が結構、言われたのが…
 そう、君は友人だ。
 昔、結婚したことがあって、そのときに、子供が出来ていたら、君くらいだったと思う。

 あと、覚えているのは、
 おい、あんまり、おまえの目で見つめるな…とか、
 いつも、何でもざっくばらんに話してくれて…

 私は、1年生から法学政治学教室所属だったけど、先生が指導教官だったことは一度もなくて…
 それなのに、いつも気に掛けてもらって…何かと、声を掛けてもらって…
 本当にありがたかったです。

 なぜ、生きているうちに会いに行かなかったのだろう…
 葬式だって、角替先生なら、クラブがあって抜けれないなら、そっちを優先しろよと言いそうで、行かないでしまった。
 いつもそうやって甘えていた。

 これ、書いていたら、僕に力を下さいと書こうと思ったのだが…

 そうじゃないんだよ…
 いつも、こうして君がピンチだと思っているときは、見守っているんだよ…
 今日も姿を現してくれたんだ。

 そう、考えていたら、泣けてきた。本気で泣いた。考えるごとに泣ける。

 いつも意気地がないとき、ポンと背中を押してくれたし、怒られたら、優しい言葉をかけてくれた。
 多分、そのために、時には近くで待っていてくれたのかもあったのだろう。

 そんなこと、学生の僕には、気づかなかった。でも、いつもタイミング良く、声を掛けてくれる。
 
 情けなくて泣けるよ。

 今日だって、そうなんだろうな…こっから、普通、出てこないし。この本。

 直線的で、不器用で、何もよく分からない自分を支えてくれていた、本当はお父さんのような存在だったのですね…
 なんか、いつも、きみのような子供が…何て言われると、照れちゃったり、いや~、それはないでしょうとかしか返せませんでした。
 田舎から出てきた、僕を本当にかわいがってくれたのですね…
 そのおかげで、楽しい学生生活を送らせてもらいました。

 先生は、客観的に人を見てどうこう言うのでなく、必要と思えることを一緒にやってくれました。
 なんでだろう、そんなこと気づかなかったのか…今まで…

 だから、亡くなったとき、清水先生が、真っ先に、電話くれて、葬式に行かないかと誘ってくれたのか…
 それなのに甘えて…情けない…
 見えてないんだ…甘えてばかりで…今まで…
 で、今日も甘えているんだ。

 俺、いつまでもこうして見守っているんだぜ。古舘。って。
 今日も言ってるだ。

 このところ、こんなにいろいろ考えて、本当に眠れないくらい、頭ぐちゃぐちゃになって、
 でも、そうでもなければ、こんなに人の気持ちなんて、考えなかった。

 僕は、こうやっていい大人に囲まれて生きてきたら、いや、みんなで守ってくれていたらこそ、こうもわがままに暮らしてきたんだ。素直な生活が出来ているんだ。
 やっと、分かりました。
 これを他の人に返さないとならないのですね。先生。
 おまえ、いつも不器用で見てられないだよね…って、言ってそう。いや、言ってる。出てきてる。

 多分、ひかるちゃんの件にしても…先生なら
 ちょっとガッカリだったけど、良いんじゃん、本人が幸せになれば…
 君だって、十分に楽しい思いさせてもらったもらったでしょ…
 くらい、あの世で言ってそうです。いや、言ってます。

 心を大きく持とう。そっか、先生がお手本だよね…

 日曜日、天気良し。掃除洗濯よし。
 
 今週は、健康診断。朝、5時半には並ぼうっと。朝一番狙うか…

追伸:すっかり涙目だよ…目、真っ赤だし。
 先生、お願いします。何て書いたら、こう言われそう。
 いつも、言われなくてもやってますよ。君が気づかないだけなのにさ…
 言えるようになった、気づくようになっただけでも、随分、大人になったね…
 成長したんだね。うれしいよって。

 しかし、自分は本当に子供だ…なぁ…
 そういう人にならないと…

 ここ数ヶ月、こんな調子のことばかり起こるんだよ。

 これ、書いては読み返し、直しているだのけど、何度、同じ文書を見ても、自分自身で泣ける。
 泣いちゃうよ。先生に…

 「角替晃」先生のプロフィール
 元東京学芸大学教育学部教授、元東京学芸大学附属大泉中学校校長。 
 早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。

 現在、yahooの検索で、私のブログがトップに来るようです。
 最近、検索、多いんだよね…
 話を元に戻していまいます。

 結局のところ、Hちゃんを斜めから見ているようで、実は、まっ正面から見ていたのは、何を隠そう「野川」先生だったということで…

 今でも別に、この話、嫌であるとは思わないし、むりろ、思い出の1ページ。
 私のこれまでの密やかな自慢。これで、密やかが、なくたったけど…
 今まで、自分自身を振り返ることもなく…考えることもなく…いや、結構、考えてきたつもりだったが…

 俺って、結構、おもしろいじゃん…

 なんて、書いてみました。
 「野川忍」先生。お元気でしょうか?このブログ、結構、検索に引っかかるの、間違って開いていまった場合を想定して、かいておりますが…

 「野川忍」
昭和60年東京学芸大学専任講師。平成2~4年外務省専門調査官としてミュンヘン総領事館にて研究生活。平成11年東京学芸大学教授。平成21年明治大学法科大学院教授
 学歴
東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修了。
(「あの人検索スパーシー」そのまま引用)


 今、考えてみても今まで会って話を普通にする関係の人で、最も頭の良い人。
 会うといつも緊張する。さほど賢くない私としては、ある意味、もっとも苦手な人。

 縁あって、学芸大学の1年の時の指導教官。
 特段、互いに望んでなったのではなく、学芸大の制度で、必ず、教室に所属し、その教室の先生が指導教官となる制度だったので…
 法学政治学教室に所属したので、配属上、そうなったという関係。

 実際、1年生の時は、ゼミの合宿と奨学金の先生の欄に書いてもらったのが、印象にあります。
 多分、思えているでしょうか?先生は頭が半端なく良いので、記憶しているのでは?それくらいの方。

 奨学金については、兄が早稲田の学生で、私含め2人、東京で下宿生活をしているのは、父一人で働いていたので辛い。どこかしらかお金が借りたい。できれば、日本育英会で…って、話に家の方でなり…
 高校から成績証明を出してもらったら1種もOKの点数であり、手続きをすすめることになりました。
(ここで気づいたんだよ、これなら、他の私大の推薦とれたんでないかってこと)

 で、担当の教官として、野川先生に書類を書いてもらいに行きました。

 野川先生曰く
 君の父親は、公務員だろ。ま、1種は無理だね。まず、年収が高い。
 しかし、できるだけ、嘘はかけないが、受かるようにかいてあげよう。

 ま、1種落ちたら、2種でも良いし、書いてもらえるなら、それだけで良い。
 だいたい大学の先生と面と向かって話をする機会などなく、このとおり怖かったので、お願いしますって、ドキドキしながら待って、書いてもらい、事務に提出しました。

 奨学金の合否は、結構時間がかかるのだが、結論的には1種で合格しました。
 現在、教員になった私は、借りたのが全部免除になったので、本当に感謝しています。

 で、その合格の報告もしたが、へぇ、そんなことあるんだと言ったくらいで、大した会話もせず、終わったと思います。

 当時は、バブル全盛期。それもあってかなとも思ってはいますが、やっぱり、適切な文章を書いてもらったからだと思います。今でも、素直に本当にありがとうございました。

 途中からドイツに行ってしまったので、担当の指導教官が、「福永 礼治」先生(現専修大学法学部教授)に変わりました。

 だが、こともあろうに、私が大学院を受けるころに復帰して、当然、審査をするメンバーだったかと思いますが…

 実に、その後も、いろいろありましたねぇ…

 何せ、口は悪い。そして、切れ口が鋭い。
 もう、太刀打ちできないのです。私に…

 例えば、ちょっとしたワープロの変換ミスを見つけ、
 「うん、このミスは、君をこの大学院に入れてしまったことに比べると大したミスではないが…」
 くらいの一言は普通で、ガラスの心の私には、常にぐさぐさくるのです…

 隣で聞いていた、角替先生など気にしてくれた、随分やられていたなぁ…
 全くに近いほど、必要以上は離さなかった恒川先生でさえ、声を掛けてくれたくらい…

 みんな要領がよくて、すっと抜けられるところで、ぐさっとやられるたちなのさ…

 たださ、勉強になることもたくさんありまして…

 例えば、院の授業で外国人労働者についてやって、夏のレポートの課題が、知り合いの外国人労働者に話を聞いてくること。
 おもしろいのは、自分がこれから出す本で紹介してやる。

 かなり、無茶な宿題だったと思うし、相当、悩まされました。

 私は仕方がないので、TBSのドキュメント番組で、新宿赤十字病院の大変さが報道されており、それを取材して、レポートを書いたのです。

 外国人労働者が、この病院に駆け込んでくる。でも、保険もない。赤十字病院は、そこも独立採算でやっているので、結果踏み倒しになる治療費が大変な課題である。とのこと。

 病院に直接、話を聞きたいと電話したら、意外にもOKになり。取材。

 場所も歌舞伎町にあって、なかなか雰囲気のある病院でしたが、そこのケースワーカーの方が、こんな院生を
相手に真剣に話をしてくれ…

 それをレポートにして夏休み明け後に提出。

 なぜ、テレビで見て、それだけで、そこまで出来たか。怖かったからですよ…先生が…
 また、友人いないとか言ったら、なんて切られるか?
 それなら、とりあえず、いっちゃえ…そっちの方が、怖くない…

 で、他の院生はどうしたかった?
 そんな外国人労働者の友人いません。書けません。
 先生も、大分、無茶な課題だったと言って、その後、何もナシ。本の話もなんのその…
 俺の努力って…

 だから、今は、要領よく見えているかもしれないが、私以上に要領が良い人たちを相手に、毎日過ごしていたわけで…
 これらの人には劣るけど、世間的には少しは要領が良いくらいです。
 このように要領が悪いとぶさっと切られてましたから…

 その分、いろいろな人にかわいがられ、本当に大変だったが、何とか大学院を修了しました。

 多分、冷静な先生にとっては、私は、まっすぐで、要領が悪く、かしこくもなくイライラする人だったのでは?
 いや、彼なりの愛情だったのだろう…

 大学院、終了して、何度か大学に行っては来たけれど…
 たまたま、野川先生がいるときに、古舘君がきたよと清水先生が、みんなを誘って、近所の中華料理でご飯を食べました(多分、修学旅行のときかな)。
 もう、卒業して何年もたっているのに、いや、せっかく来たのだから、おごってあげるね…になり、もう30歳なのに、皆様にごちそうになったのを覚えています。
 だから、今、考えてもとっても良い環境で過ごさせてもらったと思います。

 その道すがら…
 野川先生に、何かあったらよろしくお願いいたします。って言ったら。
 何のこと?
 あぁ、君がやめさせられそうになったら、相手方の弁護人になり、綺麗さっぱり、やめさせてあげるから。
 って、また、切られました。

 私の記憶の野川先生。
 相変わらず、学生を切っているのだろうか?
 いつまでも、元気でそうあって欲しい。

 常体と敬体がばらばらな文章だが許して…おしまい。
  
 追伸…野球が大好きな野川先生は、私に、
君は、盛岡第一高等学校なの。きみの先輩で東大でピッチャーしていた優秀な奴がいた。
君もがんばれよ…って、1年生の時に声を掛けてくれたな…
 だから、よく人見ていて、彼なりの冷静な愛情なんだよね。いろいろと…
 昨日、久しぶりに遅くまで起きて、このブログを書いてまして…
 悶々として眠れない…って、思っていたら、意外に書いた後は、いつもより眠れ…
 
 人の悩みを引き入れちゃうと自分の悩みになって、ついシンクロして、まじめに考えて眠れなくなる…
 不登校の生徒を考えるとシンクロして、日曜の夜は、眠れなくなる体質。
 だから、あまり、悩み多い人と仲良くなりたくない…
 愚痴っている人に近づきたくない…って、自分、結構、愚痴るけど…
 そういったところあるんだよね…はいっちゃうと、とことん悩める体質で。
 頭はあるので、悩んでいたら眠っちゃったにはならず、答えを導き出そうと必死に脳が働くので、眠れず、結局、つかれちゃう…自分を疲れさせる…

 で、昨日の続きをちょっと朝方、思い出しみた。
 あれ、手紙に何て書いたのだろうって…

 たしか、Hちゃんの目標は、学者になること。
 法律学で、学芸大学の大学院では、その目標にはなかなか行かず…
 かといって、東京の大学では、自分の力から考えるに、行くような大学院はないこと。
 つまり、地方の大学の大学院で学ぶのが近道と考えていること。

 しかし、両親はそれを反対していること。
 家から離したくないという感じだったかな?
 自分は、前から独立して生活したい。自力で生活できるなら良い。
 しかし、両親が教員で年収でも、1千万を超えるので、奨学金などは借りられない。

 このジレンマに陥っていることが、悩みの根本だったと思う。

 私は、
 君の夢は、応援したいと思う。と書きながら…
 できれば、自分の近くに置いておきたいのもあって…
 何、本気になれば、修士は学芸大、博士から違う大学院を見つければ良いのでは?
 両親の言っているのも、一理あって、必ずしも、君を苦しめるために言っているのではないのでは?

 くらいの話であったかな。

 夏くらいまでは、一緒に大学院に入るかな?これからも長いつきあいだしな…
 結構、こっちをむいているし…

 下心みえみえにならないように、一生懸命、オブラートにくるんで手紙書いたら、超長くなって、それでも、文章を削ったのだが、厚い封筒になってしまった。写真も入ったし…

 所詮、学芸大学の学生は、こんな感じだったわけだよ…もじもじしてさ…変わらないか…今も…自分はさ。
 だから、彼女は難攻不落の城だったということで…
 あとは、自宅生だったと言うことで、なかなか連絡とろうにも勇気がいるわけさ。
 携帯とかない時代でしょ。自宅に電話するって勇気がいるし…
 何かあっても、家に帰るって言われると、そうだよね…で終わるし、
 町田までのつなぎがあって、終電も早いし…
 
 ま、のんきに構えていたら、ちょっと関係が悪くなって、長期休みや教育実習もあり、私も大学から足が遠ざかり…

 で、昨日の話。
 名大の先生が来て、話をしていて、気に入った先生が彼女を、名大の大学院に誘い、あれよあれよという間に、名大の大学院に行くことになり…

 Hちゃんは、可愛い顔で、目、きらきら輝かせながら、この悩みを相談できるみんなにするのさ…

 性格の良いうちの大学の先生たちは、何とか彼女の夢を実現させてあげたい。
 まして、自分たちと同じ道を歩もうという彼女を手助けしない人はいないだろうし…
 で、名大の大学院の話につながる。
 みんなが良かった。本当に、尽くしてあげて良かった。
 性格が良いうちの大学の先生、そして、私も離れていくのは、寂しかったけど、陰ながら応援しているね…って、最後だったと思う。

 一人だけを除いて…

 それが、昨日書いた「野川忍」先生。
 なんで、みんなが彼女の虜になるの?変じゃん?
 彼女は独特のフェロモンがあって、みんなが毒されるっていうのさ。

 ま、そういうことはないことはないにせよ、純真無垢なHちゃんに、随分とひどいことをいうなぁ…って、思いが大体の人の意見だったと思う。私もそう思った。ひねくれた人。こんな人、彼女出来ないだろう。
(実は、彼はその後、すぐに結婚するのだが)

 でさ、これ、大方の意見と反しているが…
 今になってみれば、もっとも適切な意見。
 冷静だったんだね。彼だけが。

 彼女は行って、数ヶ月の後、相手に入り込まれて、同棲して、確か、リタイヤしているのでは?
 これ、野川先生が、その後も観測してはなしてくれたことで、彼の愛情はかなりひん曲がりの感じもするが、ちゃんとみていたってことですね。その後も…

 結果でいうと、Hちゃんは、学者になりたかったのではなく、拘束の厳しい両親から離れたかっただけ…
 隙がなかったのは、物理的な問題だけで、本人の心には隙だらけだった。
 そりゃ、自分の悩みをこれだけオープンにしていたら、私のように鈍い男は、感じないが、センサーが敏感な人は、こいつ、いけるって、感じだろう。気づくのおせ~。
 おまけに、純真だしさ…無垢なんだよ…

 両親のアドバイスは、そういう意味で、かなり適切だったということですね…
 自分たちの近くから離せない。
 でも、離しちゃった…後悔しただろうな…両親。

 若いうちって、実際、誰が自分に本当の愛情を持って接してくれているか分からないけど、
 両親や愛情を本当に持って接してくれる頭の良い人、この意見に耳を傾けないとならないのでしょうね…
 
 ふと、こんなこと考えていたら、ちょっと自分の深層心理、こんなとこから来てんの?系。
 長くなりすぎたので、一度、終わらせる。
 書いておきたいので、この野川先生、今、このあと続きで書いてみる。 
 Hちゃんという女の子がいて…
 これがまた、人気者なのよ…
 1年生の頃から、
 私「A社」、彼女は「総社」。ま、私も「法学・政治学」教室所属だから、ゼミ仲間みたいなもので、知ってもいたし、顔も認識していた。
 俺の友達や周りも1年生の頃から、超可愛いとか言っていて…
 そ、悪く言うとえらが張ってて、良く言うと、びっとした顔。
 遠目に生えるわけではないが、こじんまりとして、それなりに整った顔。小っちゃくて…
 個人的には、そんなに騒ぐほどかい?って、見ていたのだよ…
 ま、それが2~3年まで続き、ゼミの合宿で一緒になって少しは話もしたかな?
 ゼミの合宿など行くと、私の友人は、わーわー言っているのさ。少し、静かにせいって感じ。
 自宅生で、厚木から国分寺まで電車でそれなりに長い距離、通ってくるわけ。厚木高校出身くらいは、情報があったかな?
 だって、聞かないでも教えてくれるやつがいっぱいいたような…
 そして、隙がないじゃない、難攻不落な城の訳さ。
 でさ、もてる女の子って、みんなが防衛線はるものだから、人が近づけないわけさ…
 多分、つきあった人がいないとかの情報もあったような…多分、そう。

 でさ、急に3年の後半あたりから、私と急接近する訳よ…
 理由は、この法学政治学教室から大学院を受けるのが2人だけだったのよ…
 いわゆる、進学組になったので、意図せず急接近。
 学部生は、居場所が少ないから、当然、2人きり成るわけ。授業の空き時間とか。
 当時、私も電車通いしていたので、同じ授業があったりすると帰り道一緒な訳で、
 駅から遠い学芸大学は、駅までの15分から20分かかり、金のない学生が歩いて駅まで行くのさ。
 だから、帰り道を一緒にすると、大体、おんなじ授業週に2回以上はあるので(学部の授業と院生の授業への参加(これは、無単位))、若い男女が、これだけ親密になると、ま、そういう感じでしょうか…
 彼女もよく見ると可愛いって思っていたし、私だって、別に嫌われるような容姿でもないし。
 電車は私は上りにのり、彼女は下りにのり。最後、違うホームでさよならしたり、別れ際は寂しいよって思ったよ。
 その割に、偶然、行きの通学の道で一緒になったりすると、お互いビックリ。もじもじしちゃう感じ…
 うわ~、超甘い…

 そんな中…
 角替晃先生が4年生の夏休みに、野尻湖でゼミ合宿をしようってことになり、彼のお気に入りのメンバーで、彼が関係している野尻湖の合宿所を使って、そのメンバーだけの学習会が行われました。
(角替先生は、憲法の先生なので、民法の先生に付いていた私は、特別にお呼ばれしたのよ…)

 メンバーは、角替先生(故人。前東京学芸大学教育学部教授 、前東京学芸大学附属大泉中学校校長)、私、Hちゃん、Hちゃんの友達(名前忘れた、後で、家裁の調査官になるが、俺の友達は、写真見て、「伊藤かずえ」に似てるって言ってたな)、途中から、OBで神奈川県庁で働いている人参加の5人だけ。ほんとこじんまりとした合宿だったよ。
 合宿所には、マニュアル車のワゴンカーがあって、誰も運転できないのでパーパードライバーの私が運転。ちょっとぶつけ壊してしまったのを覚えています。方向指示器のプラスチックカバー。
 野尻湖には外国人も多くて…そういった別荘地なのね…

 途中で、東京大学名誉教授「奥平康弘」先生(当時は、国際基督教大学の教授)もバイクで来てくれて。
(奥平先生、まだご存命なのね…)
 奥平先生は、そのとおり東大の先生だったのですが、角替先生が、早稲田の政経の院生だった頃、学校違うのに教えを請うた先生らしく、近くにいるので連絡したら来てくれて、野尻湖で泳いだだよね…実家に一緒に撮った写真があるよ…
 で、大学の先生の懐の広さやこの行動力には驚くね…いつも…

 話戻して、
 Hちゃんとは、この合宿で、一緒に勉強し、そして、野尻湖で泳いで…
 なんたって、水泳の選手だったひかりちゃんですから…
 この状態で夢中にならない男子はおらんだろう…
 当然、いろいろなことを聞いたし、悩みも聞いたし…
(セカチュウ見ると、なんかジンとするのは考えるとこのころの思い出がよみがえるからか…)

 で、合宿から帰ってきて、当然、院生になるためにはお勉強。
 でも、写真が出来た頃には、それを送ろうかなって、思って。
 そして、夏休みでしょ、会えないと気持ちも募るのさ…

 始めて知ったのは、電話番号では、住所は分からないということ。
 だから、わざわざ角替先生に電話して、住所聞き出したよ。 
 悩み事聞いたので、それに関して、手紙も書きました。気がついたら、厚くなってしまって。
 何度も書き直したよ。今なら、メールでポンだがね…
 あれ、今、出てきたら、驚くだろうなぁ…

 確かその後に、Hちゃんの友達が個展を開いたという手紙をもらったのを大学に持ってきて、一緒に行かないかって誘われて、もちろん、二つ返事。
 銀座で開いていた個展に足を運び、
 友達は、彼女に彼氏なの?って、聞くけど(当然だよね)、お互い顔を見合わせて、へってなって…
 不慣れな銀座を歩いて、最後、不二家でケーキとコーヒーを飲んで帰ってきました。

 で、残念ながら、覚えているエピソードって、これだけがって感じ。

 その後、私が教育実習に行ったり、いろいろあったんだよ…
 疎遠になって…

 そして、Hちゃんが大学で勉強しているとき、恒川先生の先生が大学に来て、そのとき、ひかるちゃんを紹介。
 それが縁で、彼女は名古屋大学の大学院を受検し、合格。

 野川先生は、この状況やら、周りを巻き込む状況やらを見て、彼女のフェロモンにみんなやられるね…って、相変わらずの皮肉をいってたが…
 そんな何でも知っている感じの野川先生は、それを私の前で言っていたけど、私がそういう状況だったことは知っていないのでは?
 いや、分かりやすすぎる私は、周りで知らない先生たちはいなかったのかな?で、わざと言ったのかな?

 その後のその後。
 野川先生は、その後も彼女の追跡をしてくれ、彼女は、大学院に入ったら、ほどなく同棲生活を始めってところまで知っていますね。多分、学者としての道は行かなかったのかな?


 ま、私、友人とかにもこういった話をしたことがないので、ちょっと思い出して、書いてみました。
 角替先生の思い出とともに。

 うわ、恥ずかしい…
 午前中、他の中学校を呼んでの練習会。
 頼んでいた先生が急遽、休むことになり…大ピンチ!
 1時間位して、別の先生が事情は分からないまま来たのだが、代打になってくれて…
 そのまま教えてくれました。
 ピンチが過ぎ去り…安堵。
 人呼んでるとハプニングが困りもの…
 でも、こうして何とか切り抜けられるのも、私の運の良さかな…
 ま、悪いことしてませんから…状況も考えるし…
 直線的だけど、決して曲がっておかしくなりません。

 今日は、無性に髪が切りたくなって、帰りに床屋。
 でも、見た目をあまり変えずに、髪全体を薄めにした感じ。
 ま、見た目から入ってみようっか…寝癖、微妙で今日の朝もぼさぼさだったし…

 水曜日の研究主任研修会の発表で…
 人は、自分が思ったようにしか見られない…って、パワーポイントを見せられ、泣いちゃいましたってことを思い出しました。

 話は、

 小学5年生の担任が、遅刻はするし、人の話は聞けない児童に対して、困っていた。
 しばらく、そんな感じをただ困った人という目で見ているだけであったが、
 彼の1年生からの履歴を調べてみた…
 1年生の時には明るかった、2年生で母親が入院、3年生で死亡。4年生で父親がおかしくなり…
 それを知ってから、先生の態度が変わった。接し方が変わった。
 その彼が最終的に、大学に入り、医者になり…
 最後、結婚するとき、その先生に手紙を出し…
 お母さんの席に座って欲しい…と。

 発表者の先生でさえ、自分で資料持ってきてるのに、涙目になって…
 おまけに、周りもなんかみんなジンときて…

 どこまでが本当の話か分からないけど…
 先生って仕事がそういうものだなって思っている人たちには、たまらない話で…

 ぜひ、これを…なんて、考えてました。

 おみや頂いて、帰ってきました。
 おまけに、第3のビールが出て、これも飲んできたので、大変、ご満悦。



 弁当目的で、会議参加。
 会議終わって、おしゃべりして、帰ってきました。
 先生とは今から10数年以来のおつきあいで、講師時代から知ってますので…
 なんたって、裏表がない。本当に信用できる方ですから…
 学校公開までの話をしゃべってきました…

 今日は風邪を引いてしまったので、風邪薬を飲んで自転車で…
 で、やっぱり気分ブルー。よく眠れないし…
 おまけに、5分の5だし…

 朝、ユーチューブで、ガリレオの主題歌を見つけて
http://www.youtube.com/watch?v=QIQuFBViyGM
 音取りまで出来たのですが、これをスマホに入れるまでが、できない…
 あぁ、歌のまんま。福山の女性用の歌って…怖い…
 高視聴率なんだってね…ドラマ。

 何か、表情なごんできたのかな?
 でも、まるでわからない…かな?の木曜日。
 
 ついでに夕日綺麗だったから載せておきます。


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