徒然なるままに、書き記します。
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昨日の続き。
今日は、朝からアップします。
立派そうに書いているが、優柔不断な私だから、必ずしも、すべてがうまくいっているわけでもなく、無論、周りの人たちの協力があってこその結末でもあります。
みなさんが4月に入って、学校は大きく変わりました。
特に、新3年生が良かった。一気に、学校の雰囲気が変わりました。
何が良いかというと、まず、考え方が正常になったこと。
努力を惜しまなくなったこと。
私は、この年、この3年生の社会のみならず、選択技術をやっていました。
選択技術の授業の多くは、学校を綺麗に直すこと。
学校にも愛着を持って欲しかったんだよね。
こんな無茶苦茶な授業に何人か、参加してくれたんだね。
とにかく、木造校舎だから、磨けば綺麗になってくる。それを磨いた後に、ニスを塗って、仕上げる。さぁ、やすりを持って、集合。って感じ。
彼女たち、今何してるかな?
そして、彼らは行事も一生懸命にやってくれました。
これは、1年生に入ってきた君たちが、ちゃんとあこがれをもってくれるくらい。
無論、クラブだって、そう、勉強だって頑張っていました。
これは、何より、このクラスを担任していた上山先生が、3年間の見通しを持って、生徒を育ててくれたからだと正直に思えます。
あと、これは、いつか、私が研究主任になった理由を書いてみたいので、そこで、理由については、載せるとして。簡単に書きます。
端的に言うと、「総合的な学習の時間」の組み直しをしたかったのです。
当時、学校研究というと「総合的な学習の時間」の研究が多く、それがメインになっていたのです。私がしたかったのは、かの学校で言う「綾織人学習」のあり方の組み直し。
何せ、私が来た時の「綾織人学習」は、名前だけが一人歩きして、論理のない中身のない学習の時間でした。
分かっていましたが、前年の冬にそこをズバッと、市の発表会で某校長先生に指摘され…
こっちは、大変な思いしているのに、そこまで言う必要あるかい…って、思うくらい。
冷静に考えれば、確かに何ら、考えもなく、名前だけ考えて、ただ、やらせていたのも事実だし(この業界で言う「ただ、やらせている」ってやつ)。
これを解消するには、しっかりとした論理と、その構成。
これをしっかりとした文章として、表さないと。
誰が見ても、こうやってます。という形。
実際、計画は4月が勝負。
家庭訪問に行く前の忙しい時期に、たくさんの本を参考に、まとめていました。
当時、夜遅くまで残って。
とにかく、若くて、今じゃ考えられないくらい、無我夢中で働きました。
後に、この「綾織人学習」は、市の発表会、教育センターでも発表されるくらいのモデルケースになったのですが…
そ、あの君たちが3年生の時の演劇は、私がみんなが1年生のときに、立てた計画の集大成だったのですよ。
ま、担任しながら、研究主任をして、って生活は、今考えると、よくやったものだと思うのです。
当然、初めての仕事だったので、研修会(確か、3日間みっちり)などにも参加して、その基礎を勉強したりもしたしね。
クラスに話を戻すと、学級は、やはり、学級のお母さんと言われた「あゆか」さんの活躍なしには、語れないかもね。
正直、学級の心配事は、彼女と「よしえ」さんに頼りっきりだったと思います。
何せ、男子4対女子17人というクラス構成は、実にいびつで、当時(今も?)若い独身男性であった私にとっては、驚異と言うほかないですね。
それをうまく、まとめたくれたのは、彼女たちのおかげです。
そして、男子は、結局、リーダーになってくれそうな素材は、2人。
だから、無論、君のこともしっかり育てないと思っていたのは確か。
そう、だいたい、簡単に書いたけど、優秀な3年生の下、あぁなれればというあこがれを抱ける上の学年がいて、本当に良かったと思います。
そんなこんなで、1年が過ぎました。
あ、ついでに
こんなことを書くと、あのとき、おまえ、転勤希望出したんじゃん…って、某先生につっかまれそうですので、それも書いておきます。
この年に私は…
できれば、この学校から離れたいとも考えていたり、いなかったりという状況も確かで…
ただ、勤務2年目。絶対に希望出したって通らないのを分かっていたので、ある意味、ちょっと、大人げなく反抗してみた…って、感じの若気の至りですが。
正直、中学校生徒会連絡協議会の事務局校は、大変なので、それは、避けられるものなら避けたいというのもありました。
「めぐみ」さんが、生徒会執行部の時、「苦労は買ってでもしろ」というのが心情です的な発言をしてましたが、私は、苦労は、出来るだけしたくないたちで、苦労しないにはどうするれば良いかを考えて、行動するたちなので。
あと、やっぱり、この人事異動。実に腹ただしい限りの制度。
なんで、人が荒らした学校の世話を、他から来た人がしなければならないのかという、理不尽さに対する怒りみたいなのが沸々とありまして。
いつか、私の「やんちゃストーリー」もまとめてみたいとは思います。
これにも続きはあるので…
とにかく、立派なことを書いているようで、私自身、結構、揺れているのは事実であり
ま、20代くらいは、何だかんだ、失敗したって、良いじゃん。
(君たちに会ったのは、29歳。最後の20代の年でした。)
その時その時、考え悩んで、でも、楽しんで。ってことです。
そして、2年生に続く。
今日は、朝からアップします。
立派そうに書いているが、優柔不断な私だから、必ずしも、すべてがうまくいっているわけでもなく、無論、周りの人たちの協力があってこその結末でもあります。
みなさんが4月に入って、学校は大きく変わりました。
特に、新3年生が良かった。一気に、学校の雰囲気が変わりました。
何が良いかというと、まず、考え方が正常になったこと。
努力を惜しまなくなったこと。
私は、この年、この3年生の社会のみならず、選択技術をやっていました。
選択技術の授業の多くは、学校を綺麗に直すこと。
学校にも愛着を持って欲しかったんだよね。
こんな無茶苦茶な授業に何人か、参加してくれたんだね。
とにかく、木造校舎だから、磨けば綺麗になってくる。それを磨いた後に、ニスを塗って、仕上げる。さぁ、やすりを持って、集合。って感じ。
彼女たち、今何してるかな?
そして、彼らは行事も一生懸命にやってくれました。
これは、1年生に入ってきた君たちが、ちゃんとあこがれをもってくれるくらい。
無論、クラブだって、そう、勉強だって頑張っていました。
これは、何より、このクラスを担任していた上山先生が、3年間の見通しを持って、生徒を育ててくれたからだと正直に思えます。
あと、これは、いつか、私が研究主任になった理由を書いてみたいので、そこで、理由については、載せるとして。簡単に書きます。
端的に言うと、「総合的な学習の時間」の組み直しをしたかったのです。
当時、学校研究というと「総合的な学習の時間」の研究が多く、それがメインになっていたのです。私がしたかったのは、かの学校で言う「綾織人学習」のあり方の組み直し。
何せ、私が来た時の「綾織人学習」は、名前だけが一人歩きして、論理のない中身のない学習の時間でした。
分かっていましたが、前年の冬にそこをズバッと、市の発表会で某校長先生に指摘され…
こっちは、大変な思いしているのに、そこまで言う必要あるかい…って、思うくらい。
冷静に考えれば、確かに何ら、考えもなく、名前だけ考えて、ただ、やらせていたのも事実だし(この業界で言う「ただ、やらせている」ってやつ)。
これを解消するには、しっかりとした論理と、その構成。
これをしっかりとした文章として、表さないと。
誰が見ても、こうやってます。という形。
実際、計画は4月が勝負。
家庭訪問に行く前の忙しい時期に、たくさんの本を参考に、まとめていました。
当時、夜遅くまで残って。
とにかく、若くて、今じゃ考えられないくらい、無我夢中で働きました。
後に、この「綾織人学習」は、市の発表会、教育センターでも発表されるくらいのモデルケースになったのですが…
そ、あの君たちが3年生の時の演劇は、私がみんなが1年生のときに、立てた計画の集大成だったのですよ。
ま、担任しながら、研究主任をして、って生活は、今考えると、よくやったものだと思うのです。
当然、初めての仕事だったので、研修会(確か、3日間みっちり)などにも参加して、その基礎を勉強したりもしたしね。
クラスに話を戻すと、学級は、やはり、学級のお母さんと言われた「あゆか」さんの活躍なしには、語れないかもね。
正直、学級の心配事は、彼女と「よしえ」さんに頼りっきりだったと思います。
何せ、男子4対女子17人というクラス構成は、実にいびつで、当時(今も?)若い独身男性であった私にとっては、驚異と言うほかないですね。
それをうまく、まとめたくれたのは、彼女たちのおかげです。
そして、男子は、結局、リーダーになってくれそうな素材は、2人。
だから、無論、君のこともしっかり育てないと思っていたのは確か。
そう、だいたい、簡単に書いたけど、優秀な3年生の下、あぁなれればというあこがれを抱ける上の学年がいて、本当に良かったと思います。
そんなこんなで、1年が過ぎました。
あ、ついでに
こんなことを書くと、あのとき、おまえ、転勤希望出したんじゃん…って、某先生につっかまれそうですので、それも書いておきます。
この年に私は…
できれば、この学校から離れたいとも考えていたり、いなかったりという状況も確かで…
ただ、勤務2年目。絶対に希望出したって通らないのを分かっていたので、ある意味、ちょっと、大人げなく反抗してみた…って、感じの若気の至りですが。
正直、中学校生徒会連絡協議会の事務局校は、大変なので、それは、避けられるものなら避けたいというのもありました。
「めぐみ」さんが、生徒会執行部の時、「苦労は買ってでもしろ」というのが心情です的な発言をしてましたが、私は、苦労は、出来るだけしたくないたちで、苦労しないにはどうするれば良いかを考えて、行動するたちなので。
あと、やっぱり、この人事異動。実に腹ただしい限りの制度。
なんで、人が荒らした学校の世話を、他から来た人がしなければならないのかという、理不尽さに対する怒りみたいなのが沸々とありまして。
いつか、私の「やんちゃストーリー」もまとめてみたいとは思います。
これにも続きはあるので…
とにかく、立派なことを書いているようで、私自身、結構、揺れているのは事実であり
ま、20代くらいは、何だかんだ、失敗したって、良いじゃん。
(君たちに会ったのは、29歳。最後の20代の年でした。)
その時その時、考え悩んで、でも、楽しんで。ってことです。
そして、2年生に続く。
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久しぶりに、変えてみました。そ、プロフィールは、facebookで…こっちも、リンクしてみました。ちなみに、今、コメントは、書いてもらっても、すぐには、反映しません。こちらで、見て、公開するか決めています。ので、コメント書き込んでもらうと非公開なダイレクトメッセージになります。
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